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monthlyLetter
No.004

「僕、サラリーマンになれるかな?」

 この言葉は、重い病を抱えた小学校五年生の男の子が、父の背広姿を見つめて口にした一言です。

「お父さんみたいにネクタイを締めて、電車に乗って会社に行けるようになるのかな」

この言葉は、さいたまに住み、東京までの長時間通勤電車に揺られていた頃の私を思い出させてくれます。押し込まれるように満員電車で揺れながらも、「この日常は、誰かにとっては切実に憧れる明日なのだ」と思うと、不思議と力が湧きました。

私たちが当たり前に迎える今日という日は、誰かが心から望んだ明日かもしれません。夏休み明けに子どもの自殺が増えると聞くたびに、あの少年の言葉が重なります。

子どもたちのこんな言葉もあります。

――あのとき
飛び降りようと思った
ビルの屋上に
今日、夕陽を見に上がる
(長野県・萩尾珠美さん)

――帰り路
生きる意味を考えた
答え出ぬまま
また明日を生きる
(中学一年生男子)

短い言葉の中に、かけがえのない命の重みが凝縮されています。生きることも、働くことも、決して当然ではない。

人生(Life)には、もし(if)が含まれています。

人生には無数の「if」があります。もし、あの時別の道を選んでいたら。もし、あの人と出会っていなかったら。私たちは常に分岐点に立ち、一つを選んで進むしかありません。そして、選ばなかったもう一つの道を試すことはできません。

過去を悔やむことは誰にでもありますが、その選択の積み重ねこそが、いまの自分をつくってきました。

進学や就職といった大きな分岐だけでなく、日々の小さな判断――声をかけるか、黙ってやり過ごすか。手を差し伸べるか、見過ごすか。その一つひとつが未来を形づくってきたのです。

私は「人生において、すべての事は最適のタイミングで最善のことが起きている」と信じています。そう信じることで、これまでの道に意味を見いだせるようになりました。

心理学者カール・ロジャースの言葉に「人は現在の自分をありのままに受け入れた時に、初めて変化することが可能になる」とあります。過去を否定するのではなく、今を受け入れることが、明日への選択につながるのだと思います。

「僕、サラリーマンになれるかな?」と夢見た少年の言葉は、私にとっての指針です。働けること、明日を迎えられることが、どれほど尊いかを教えてくれました。

明日の自分をどう描くか。その答えは、結局のところ、今日という小さな選択の積み重ねにしかありません。

あなたの望む明日は、どんな明日でしょうか。