ふと立ち寄った駅前の本屋の入口をくぐると、ページをめくる小さな音と、店主の控えめな挨拶が迎えてくれます。本屋は、まだ出会っていない物語と人をつなぐ、不思議な偶然――セレンディピティが生まれる掛け替えのない空間です。
あなたは、きっとご存じですよね。街の本屋の灯が、静かに、しかし確実に減っていることを。好きだった店がいつの間にか閉まり、帰り道に寄る習慣が途切れてしまった寂しさ。「便利なのは分かっているけれど、やっぱり悔しい」「あの棚が好きだったのに、もったいない」――そんな複雑な気持ちが胸に残っていませんか。私も同じです。だからこそ、本書はあなたのその気持ちに寄り添いながら、なぜこうなったのか、そして何を変えれば守れるのかを、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。
私は長く出版業界に身を置いてきました。地方チェーンの書店経営者として現場に立ち、大手取次で執行役員として流通の中枢を経験し、出版社の顧問として編集・営業に助言し、著者として過去3冊の本を出し、売り場の最前線では頭を下げてもきました。これら四つの立場をすべて実務で経験した人間を私の他に知りません。業界の内側にいてこそ分かることがあり、逆に、いったん距離を置いて外から見たからこそ気づけた「出版界の病巣」もあります。出版界にいなければ見えない真実があり、出版界にいたままでは口に出しにくい現実もある――それが、私がこの本を書くに至った理由です。
そんな思いで、出版界のタブーに向き合う本書の企画を持ち込んだ出版社からは、大手でも中堅でも出版を断られました。編集会議を通っても役員会で覆る――そんなこともありました。それでも私は、単行本という形で、ここに踏み出すことにしました。出版界にとって初めての「タブー無し」の本です。誰を悪者にするためではなく、「出版界はなぜ変われないのか?」「どう変わるべきなのか?」を、現場と経営と制度の三つの視点で具体的に描きます。
「日本人が本を読まなくなったから、本屋が減ったのだろう」「海外も同じでは?」――よく耳にする説明です。しかし、近年の比較調査が示す現実は、もっと不都合です。日本・韓国・米英独仏の6か国を比べると、本屋の数が顕著に減っているのは日本だけ。他国は横ばいから微減で、韓国はむしろ増加傾向が見られました。さらに、毎日新聞の読書世論調査等が示すのは、書籍を読む人の比率は長期的に大きくは変わっていないという事実です。つまり、読者だけのせいではないのです。急速な減少の主因は、日本の街の本屋が「雑誌・コミック依存のビジネスモデル」が崩れたにも関わらず、出版社も取次も本の作り方も売り方も流れ方(制度と流通)も変えないままでいる「構造」にあります。
戦後の復興と高度成長の時代、出版はまさに「飛ぶように」売れました。全国どこでも同じ価格で買える再販制度、売れ残りを返品できる委託制度、雑誌の同時発売日を支えた雑誌発売日協定。そして、これらを支える取次中心の堅牢な物流は、世界に誇れる仕組みでした。これらの制度は本屋と本を守ってきたのです。(この諸制度は、本書の中で分かりやすく説明してゆきます)
ところが、時代は変わりました。インターネットの普及、生活者の行動変容、データと即納の常識化――。世界の多くの国では、こうした変化に合わせて制度や流通がアップデートされました。一方の日本は、過去の成功体験に縛られ、制度が現場の自由を奪うブレーキとして働き続けていました。結果として、本屋は「お渡しまで1週間ほどかかります」と言い続け、読者は「なぜ?」と感じて、次第に別の選択肢へ流れていったのです。これは努力の問題ではなく構造の問題です。
本書のタイトルは、佐野眞一さんの名著『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社)へのオマージュです。あの本が「本という存在」を問い直したのに対して、本書は「その本を読者に届ける場=本屋」が、なぜこの国でだけ加速度的に失われてきたのかを、25年後の現在から検証します。犯人探しをするつもりはありません。目的は、出版界が抱える長年の課題を明確にしつつも、再生の道筋を示すことです。
そのために、本書では次のようなテーマに踏み込みます。
誤解のないように申し上げます。私は、制度それ自体を全否定したいのではありません。制度は、本来、現場を生かすための道具です。生かすために変えるのか、守るために現場を犠牲にするのか――選ぶのは、私たちです。数字のための数字、慣行のための慣行を手放し、「最も便利で、最も面白い選択肢としての本屋」をもう一度取り戻す。そのための実務と設計について、現場の具体と経営の言葉で書きます。
本書は、これまで私が蓄積してきた現場の経験と、前著『2028年 街から書店が消える日』(プレジデント社)で集めたインタビュー群を土台に、生成AIも活用して大幅に再構成・加筆した単行本です。「本屋」と「書店」という言葉は厳密には異なりますが、ここでは“人と本が出会うリアルな場所”として、親しみのある「本屋」を主に用います。
この国の未来に、本屋は本当に必要でしょうか。もし必要だとあなたが感じるなら、いま変わらなければ間に合いません。私は、本屋を愛し、出版を信じてきた一人として、本屋と本へのあなたの「寂しさ」と「悔しさ」に寄り添いながら、変えて守るための道筋を提示します。どうか最後までお付き合いください。
街の本屋の衰退は、単なる消費行動の変化ではなく、日本社会の構造的問題を映し出しています。第1章では、実際にどのような理由で日本の本屋が消えているのかを、数字と現場の声から明らかにしていきます
扉ページ
深い森の中で、刃が欠けて錆びた斧を使って、
必死に木を切り倒そうとしている木こりがいました。
通りかかった旅人が、こう声をかけます。
「刃を研ぐか、新しい斧に取り替えたらどうですか?」
木こりは顔も上げずに答えました。
「木を切るのに忙しくて、そんな時間はない!」
出典: 『7つの習慣』(著:スティーブン・R・コヴィー、キングベアー出版)より着想を得て、内容を加筆修正しています。